本日:2021/03/11は東日本大震災が起こってから10年の節目の年だ。
ここ30年の間で、最大震度が7に到る地震で有名なものに、阪神・淡路大震災(1995)、新潟県中越地震(2007)とあり、そこにこの東日本大震災が加わることになった。
震度7は、鉄筋コンクリート造の建物でも耐震性の低いものは倒壊するレベルだという。
震度6の時点でまともに立って歩くことは出来ないというので、その威力の程は推して知るべしだろう。
(気象庁HPより引用:https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/shindo/index.html)
しかしこれらの中においても、東日本大震災は別格だということが、調べていく内に分かった。
被害の大きいことで知られる阪神・淡路大震災ですら、死者は7,000人弱で、1万人を超えてはいないのだ。
それに対してこの東日本大震災、関連死者数は約2万人と、軽々と5桁を超えている。
(気象庁HPより引用: https://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/higai/higai1996-new.html#higai2006)
地震による建物の倒壊や火災といった直接的な被害のみならず、津波による追い討ち、更には原発のメルトダウンによる放射能汚染まで起こるのはもはや前代未聞だ。
不運を嘆くのにも、泣きっ面に蜂では言葉が足りない。青天の霹靂が落雷する確率のレベルと言おうか?
かく言う私はあの地震が起こった正にその時、トレーニングル ームで呑気にバイクを回していた。
東京西部では電波や鉄道の乱れが起こった程度で、目立った被害もなかった。
その為、その後にテレビで放映された映像はまるでフィクションの様に、現実味のないものに映った。
正直なところ、私は10周年だからといってこのテーマを選ぶことに、最初はあまり積極的にはなれなかった。
私は実際に被害を被ったわけではなく、現地で作業をしたわけでもないので、このテーマを語るにはあまりに第三者だからだ。
にも拘らず、私は今こうして震災について考え、文章を書いている。実際の体験をしなかった代わりに、調べ学ぶことで、教訓を得て次に活かせることがあると思うからだ。
読者の皆様においても、たとえ誰から何と言 われようとも、この機にこうした問題を考え、発信していってほしいと思う。
毎年、8月15日の終戦の日には、広島の平和記念公園で黙祷が捧げられるのをテレビで放映されるのを見てきた。
戦争と同じ様に何周年を記念する東日本大震災は、もはや戦争と同列に考えて良いレベルで日本人の心に刻まれた傷なのだろう。
そしてどちらも記憶を風化させず、決して繰り返さずを誓いつつ、痛みを忘れさせる時間のジレンマを抱えている。
めでたい記念日ではないが、今日この日を改めて幸福と平和を祈念する契機としたい。
「我々は3.11を忘れない。」