③2/1 串本町、すさみ町
【”本州”最南端 潮岬にて。】
続いて海岸線沿いを進み、すさみ町を目指した。その途中で串本町や、紀伊大島という、串本町から橋を使ってアクセスできる島にも立ち寄る時間ができた。
この紀伊大島に続く海上の橋が結構な長さで、螺旋階段の様に見事にループをしている。走って(昇降して)いると、太平洋を上から見下ろすことが出来、これが見事な絶景なのだ。今回私が参加しているスタンプラリーのHPのトップ画像にもなっている程に。
(WAKAYAMA800 モバイルスタンプラリー:https://mobilerally.wakayama800.jp/)
伊豆半島の河津町にかかる河津七滝ループ橋が、国内最大のループ橋だが、あちらは山中、こちらは海上という大きな環境の違いがある。登りは斜度で、下りはカーブで過剰なスピードを出せないからこそ、景色も楽しむ余裕が持てるスピードでこの橋を渡るのが良いでしょう。
紀伊大島には、日米修好記念館や、トルコ記念館の様な、日本の海外との交流の歴史に関する展示が幾つか存在している。
日米修好記念館については、名前で勘違いしやすいと思われるので確認しておくが、ハリス来日や日米修好通商条約とは関係がない。教科書にも載っていないので知る人が少ないと思うが、実はペリー来日の62年も前の1791年、ジョン・ケンドリックの紀伊大島への来航を記念したものだ。
鎖国体制真っ只中の日本なので、表立った交易をすることが出来なかったことや、交易品が日本で価値のない毛皮だったことから、交易には繋がらなかったということらしい。
加えて紀州と言えば、徳川御三家の一つの紀州徳川家の領地でもあった。それを考えると、尚更に鎖国下での海外との交流は不祥事として隠蔽しなければならない事件だったのだろう。最近は韓国ドラマ「愛の不時着」が世界的にも人気を博しているが、恐らく異国の地に流れ着いたことによる先の見えない不安がある中でこそ、心惹かれる相手との出会いの喜びや安心感は一入なのだろう。
ロミオとジュリエット然り、甲賀忍法帖しかり、禁断の恋物語は日本人にも受け入れられやすい様だ。もしかしたら当時の大島で、漂着したアメリカ人と現地の日本人女性のロマンスがあったのかもしれない。
もう一つのトルコ記念館では、1890年に難破して漂着したエルトゥールル号の遺品やトルコからの寄贈品等が展示されている。
かつてオスマン皇帝の特使を乗せて日本に派遣されたエルトゥールル号が、帰国の道中、樫野埼灯台近くで座礁し、犠牲者587名を出したことがあった。そんな時、ここの人々が遭難者の救助や援助を行ったことが、日本とトルコの友好の始まりとして有名なエピソードになっている。先程の日米修好記念館の話と言い、どうもここは難破や遭難に縁がある地域らしい。
ところで私は2019年末に沖縄本当を自転車で一周する旅を行っていた際、初日に那覇のとあるゲストハウスでトルコ人男性に求愛を受けたことがある。
かつては日本に流れ着いたら助けを求めてきたトルコ人が、この100年余りの内に侵略してくる程の強かさを手にしたらしい。「こんな愛の不時着はいやだ」のネタが作れてしまいそうだ。オスマンならぬ♂マン(man)が難破はしていないがナンパをしてくる上、進入禁止の一方通行道路を無理矢理逆走しようとするのは勘弁していただきたい!