070関西旅行記②京都 後編:日本三景・天橋立 現代に通ずる古典作品の道

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ラーメンでお腹を満たし、我々は遂に目的地の天橋立の観光に向かう。

天橋立は日本三景の一つに数えられており、その北にある文珠山の頂上から股覗きで見下ろす景色は、天に舞う龍の姿になぞらえて「飛龍観」と呼ばれている。
また、この股覗きで海を空に見立てた時、天橋立が天に架かる橋のように見えることから、「天橋立」の名前の由来ではないかと言う説もあるそうな。

そこは以前に訪れた福井県敦賀市の気比松原に来た時を思い出す様な、見事な松原だった。
天橋立が日本三景の一つに数えられる一方で、気比松原は日本三大松原の一つに数えられている。どちらも日本海に面しており、環境や眺望はよく似ている。

松並木に囲まれて静かな道を物思いに耽りながら歩くのも、少し外れて海を眺めながら砂浜を歩くのも、私は好きだ。
松並木から眺める海辺の風景は、まるで松の額縁に飾られた様で、陽の照らす鮮やかな青と白を彩る松の陰が締める様で、私は大好きだ。

ここ天橋立について、鎌倉時代に藤原定家が選んだ、小倉百人一首の60番に、小式部内侍が次の様な歌を残している。
「大江山 いく野の道の 遠ければ
まだ文も見ず 天の橋立」

「大江山を越えて、生野へとたどっていく道が遠いので、私はまだ天の橋立を踏んでみたこともありませんし、母からの手紙も見ておりません。」という意味だ。
生野と行く野、文と踏みの掛詞で意味が二重に取れる巧さが見え、距離の遠さも感じさせる。

母であり、歌の名手の和泉式部が丹後にいた頃、京都に一人残された娘の小式部内侍が歌合せの歌人に選ばれた。
そこで藤原定頼が「お母様のいる丹後国へ遣いは出されましたか?」とからかった時に、すぐにこの歌を詠んだという。
そしてその歌の素晴らしさに定頼は、返す言葉もなく逃げてしまったという。

歌の名手の母の力を借りず、自身の力を見せつけて定頼の冷やかしを封じ込めた、何とも痛快な話だ。「まだ文も見ず」の一文が特に効いたことだろう。

返歌の内容もさることながら、こうした切返しがその場で即座にされたということが正に「当意即妙」の見事な逸話として、百人一首に選ばれた要因なのかも知れない。

当意即妙の返しは、枕草子の様な古典文学において、話の重要な妙味としてよく取り扱われている。
しかしそれは古の文学や歌合せのみならず、現代においてもビジネスや格闘技、ギャンブルその他様々な勝負事における重要な要素なのだ。
そしてそれをする為の気付きや見切りを得る為には、大抵は幅広い教養や経験が必要だ。

現代に生きる私も、日々変化し、先の見えない世界を生き抜いていく為に、当意即妙の判断を下せる様な人間へと成長していきたいと思う。

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