071 関西旅行記③兵庫県 城崎温泉-芭蕉の足跡を訪ねて-

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天橋立の観光を終えた日の夜、我々は城崎温泉へと向かった。
ここまで来ると、道路表示に鳥取県が表示され始める。駅舎では、山陰本線の鳥取県東部の駅の運賃表が目につく様になり、松葉ガニ解禁の広告も所々に見受けられた。

福井県では越前ガニ、石川県では香箱ガニや加能ガニなどといったものがあるが、それら全ては同じズワイガニのことを指している。
一応、越前ガニや松葉ガニはオス、香箱ガニはメスといった様な違いがあり、メスはオスよりかなり小さい。

城崎温泉駅に到着すると、カニの目と鋏を模したオブジェが目を引いた。
駅舎や電車内広告で松葉ガニを宣伝していたのはこれに対する前フリだったのではないかと思ってしまった。そして見事に術中にはまった我々二人のその夜の夕食は松葉ガニの入った海鮮丼となった。

その夕食の前に、我々は夜の温泉街を散歩しながら、7つある外湯の中のどの温泉に入るかを考えていた。
中心部を流れる川には柳が枝を垂らしていて、その風景は以前に倉敷の美観地区を訪れた時と重なった。
立ち並ぶ街灯に照らされて黄色く光る柳が、水面に反射して映し出されていた。
まるで川面の下にも温泉街があるのではなかろうかと思わされる様であり、異世界温泉街のフィクション作品のモデルになっても良いかも知れない。

結局、その日の夜は「一の湯」に入ることにした。
江戸時代に一の湯が出来た際は、「新湯」という名前だったらしいが、江戸時代の名医・香川修徳の著書「一本堂薬選」の中で、「城崎新湯は天下一」と述べたところから、「一の湯」に改名することとなったという。

温泉の良さは勿論、今や建物の外装・内装も随分と豪華なもので、城崎温泉の外湯7湯の中でも随一の人気だ。
幸い、我々は行列になっていない頃に入ることができた。岩に囲まれた洞窟風呂でほっと一息。鍾乳洞といい、やはり私は岩と水に囲まれた空間が好きな様だ。
外界の音を遮断する洞窟は、まるで自然のコンサートホールだ。温泉に浸かりながら反響する声や水の音を聴きながら、ここでオーケストラを聴くのも一興だと思った。

また、一の湯は「合格祈願・交通安全、開運招福の湯」とされている。
この旅の数ヶ月後、N君から新たな就職先を決めた旨の連絡が来たので、彼にとっても縁起の良い温泉となった。

私はこの時点で既に日本の全都道府県に滞在したことがあり、日本三名泉の一つで同じく兵庫県にある有馬温泉にも行ったことがある。
有馬温泉は神戸市で、三ノ宮駅からバスで簡単にアクセス出来るが、城崎温泉はそうもいかない。もう少しで日本海、兵庫県の北部だ。
同じ兵庫県でも、中心部の神戸は南側で真反対であり、特急列車を使用しても片道で3時間程かかるので、そうそう気軽に来られる場所ではない。

そんな城崎温泉に足繁く通っていたとされる人物として、元兵庫県議・野々村竜太郎氏がいる。
報道によれば、彼は900万円以上もの政務活動費を詐取し、100回以上も通っていたという。
それについて追及された記者会見で彼は勿論のこと、城崎温泉も更に有名になったことだろう。

彼は大阪市出身で前職も大阪市役所と、確かに本人の言う通り、兵庫県とは「縁もゆかりもない」人物だった様だ。
気軽に通える距離ではない城崎温泉に通いつめた背景には何があったのか。彼もまた、旅人だったのかも知れない。

それに対して城崎温泉に縁やゆかりがある人物には、他の温泉地と同じく大勢の文豪や、偉大なる俳諧師にして旅人の松尾芭蕉がいる。

「おくのほそ道」で旅人としても有名な芭蕉翁だが、城崎温泉にも訪れていたことが月見橋の句碑で伝えられている。

「旅人と 我名よばれん 初しぐれ」

潔い初時雨にぬれながら、道々で『もうし旅のお人よ』と呼ばれる身に早くなりたいものだ、という一句だ。

時雨は初冬に降る通り雨で、一時的に降ったり止んだりするものだ。
世間の冷たい雨に濡れて、この世を生きる厳しさを背負う姿に、人は「旅人」というものが何なのかを見出すのだろう。

私とT君は以前に冬の榛名山からの帰り道で通り雨に濡れた時は、寒さで死にそうになった。そんな我々も、きっと周りからは旅人として認識されていたことだろう。
生きる喜びも苦しみも、リアルに感じられる旅の人生を生きていきたい。

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