2021年の年の瀬に、東京から寒波と友人がやってきた。
彼とは2017年の山陰旅行で、私が出雲市のゲストハウス:いとあんに滞在した時に出会った。
私は西に、彼は東に向かう途中で、私は彼が前日に泊まった萩市のゲストハウス:rucoに泊まることとなった。
彼とは以後、メッセージでやり取りを続けており、2018年には私が東京を訪れた時、2019年には私の住んでいた大阪に来てくれて和歌山観光を、2020年には青森で弘前城の雪燈篭祭や、その後の大館への五能線ドライブも一緒に行く様な関係となった。これ程に旅を共にする友人は、学生時代の友人を含めても極めて珍しい。彼が旅好きであることも、その要因であることに違いない。
彼とは名古屋駅で待ち合わせ、池下にあるきしめんの名店「㐂(き)しや」に彼を案内した。
やはり名古屋と言えば味噌煮込みうどんやきしめんは欠かせない。駅のプラットフォームの住よしきしめんは経験済みとのことで、それとは違ったきしめんも食べてもらいたいと思い、また自分も久々に食べたくなったこともあり、ここに決めた。
O君はスタンダードな白(昆布出汁)の鳥南蛮きしめんを、私は変わり種のチーズカレーきしめんを注文した。
白きしめんは出汁の濃醇な味と香り、そして良い塩梅の塩味が素晴らしい。冬場の冷えた身体に、塩気と出汁の優しさが染み渡る様だった。
そして私が注文したチーズカレーきしめんも、決して奇をてらった色物ではない。こちらも基本となる出汁の美味しさは押さえており、そこにカレーを加えたことで、濃厚な香りと食感を加えることに成功している。
お互いに一部をシェアしたことで、彼もこのカレーきしめんの美味さと面白さに感心していた。
ところで、彼は白きしめんの出汁をラーメンの様だと言っていた。それを聞いて私が想起したのは、二人で食べた十三湖のしじみラーメンだった。
しじみの優しい味と温かさが、2月の津軽吹雪で冷え切った身体を温めてくれた。
さっぱりした塩味と、主にスープの力で勝負する、塩ラーメンの実力を感じた。
彼もそれを思い出していたのかも知れない。
最後に、私がここでいつも注文する牛すじ煮込みを改めて注文し、二人で食べた。
時間のかかる柔らかさもだが、調味液の味の染み込み方が何より、自分では再現出来ないところだと思っている。手間隙のかかるところに手が行き届いてる、こういうところが名店の所以なのかも知れない。
食事が終わった後も、暫く互いの身の上話を続け、再会を約束して別れた。
O君は翌日、名古屋を発って新潟へと向かって行った。彼には以前、新潟のゲストハウスに毎週の様に通い詰めた時期があった。新潟は彼にとってのもう一つの故郷の様なものだろうか。
ゲストハウスを訪れる人は、自分にとっての”もう一つの家”を探している様に思える。自分がその場にいることに違和感を感じない、まさに自分の家の様な居場所だ。
私の目指すべき”もう一つの家”は何処にあるのだろうか。それを探す道のりこそ、人生の意義なのだとすれば、なるほど人生に不安が多い訳だ。帰るべき家への道が分からないのだから。
歩んできた道も、またこれから選ぶ道の正しさも分からない中で、それでも人は前へ進む。
幸い、私はこの悠々○○を作り上げていくという、一つの道標を得たことで、朧げながら家の姿が見えてきた。
家を見つけよう、日が落ちてしまう前に。家へと帰ろう、明けない夜に追い付かれる前に。