
新門司駅に到着したのはまだ7時半頃で、チェックイン時間にはまだまだ早かったので、そこから門司港のゲストハウスPORTOまでの6km程を時間潰しと散策を兼ねて歩いた。
ちくわの様な、加工食品の匂いを嗅ぎながら港町を歩いていると、数人の釣り人が海岸から糸を垂らしていた。もしかしたら釣り人の使う餌の匂いだったのかも知れない。
途中にニッカウィスキーの工場もあったが、流石に年始のこの時期には営業しておらず、今回は通りすがるに留まった。
文明開化によって生活が洋風化していく過程では、家屋や家具の様な変え難い部分より先に、食や酒の様な取り入れ易い部分が洋風化していくのは必然かも知れない。
完全な日本食の中で、日本酒だけがビールやウィスキーに変わったところを想像すると、一見、異様な光景に見えるかも知れない。
しかし、かつて長野でイナゴの佃煮や蜂の子を食べながらビールを飲んだ時は、炭酸が醤油や砂糖の濃い後味を流すこともあり、日本酒よりも良い組み合わせだと思った。これもまた、外国との交流がもたらした素敵な出会いと発見の一つだろう。
その後も暫く歩き続け、PORTOにたどり着いたが、それでも9時頃でまだまだチェックインには早かった。とはいえ中に入ることはでき、雑貨や本が置かれていたので、私は読書コーナーで本を一冊、手に取った。それは宮崎県の椎葉村という、日本三大秘境の一つに数えられる集落での生活についてのものだった。
私も他の二つ(徳島県・祖谷、岐阜県・白川郷)には何度か足を運んだが、椎葉村だけはまだ行けていない。
本の記載から、生活は山間部の集落の様だなと思いつつ、自分がそこで暮らすとしたらという想像もしてみた。
家庭菜園や農業、家の補修や改築も出来る範囲で行いながら、近隣の人達と協力し合い、集会や催事を通して関係を深めながら生きていく。想像するに、今までの生活とは大きく変化するであろう。
そこで私が出来ることは、やはり、電気工事だろうか?
読書を終わらせ、PORTOから歩き出す頃には、少し早い昼食の時間帯に差し掛かっていた。
門司の名物といえば焼きカレーやバナナの叩き売りということで、昼食は焼きカレーをいただくことにした。

門司港駅のすぐ近くにある“プリンセス ピピ”に入店し、メニューと門司港を眺めた。
この店名は、タイの島「ピーピー島」に由来しており、また2016年にはタイ王国のナムプン妃殿下が来店したこともあるという。
期待を込めつつ、そこで私が注文したものは、伊勢海老焼きカレーだ。
蟹を食べる時は殻剥きに集中して無口になるが、今回の伊勢海老でも同じ現象が起こった。友人や家族と連れ添っての時は不都合が出ることもあるだろうが、今回の私は一人旅、何の問題があろうか。
通常の焼きカレーを注文し、家族やカップル、友人と食事の合間にも会話を楽しむ多くの人達の中にあって、言葉を発せず、集中して作業を行う私の姿は正に職人だったことだろう。
黙々と殻を剥いた後、肉だけで食べたり、カレーに混ぜ込んでみたり、溶けたチーズに絡めて食べてみたりと楽しんだ。カレーの味はタイ的ではないが、タイなら海老入りカレーも一般的なのだろうか。
私は小学生の頃には既にタイ料理が好きで、名古屋のSiam Gardenという本格タイ料理店に連れていってもらった際、文字通り吐く程にグリーンカレーを食べたことを思い出した。
前職ではタイやインドのお客様を接待することもあり、その中でタイ料理店にも何度か行ったが、私自身はまだタイを訪れたことがない。
コロナ禍が落ち着き、いくらか時間が出来た時には、タイを含む東南アジアを旅してみたいものだ。
登録したメールマガジンには、ここの料理人で野菜ソムリエの資格を持つマルコ氏は元々は野菜嫌いだったことや、彼がタイで食べたチャーハン(カオパット)に乗せられた生野菜が美味しかったことや、今や野菜ソムリエであること、そして店の看板メニューは野菜ソムリエの焼きカレーという、何とも「塞翁が馬」なエピソードが語られていた。
人生は何が転機となるか分からないもので、私も前職を退職し、新たに電気の仕事や悠々〇〇を始めるきっかけになる出会いがあることは想像だにしていなかった。
これからも、新しい出会いがある度に、この人生の旅の航路は変わっていくだろう。今回の旅も、その転機の一つになるのかも知れない。