焼きカレーを美味しくいただいた後、私は港の方へと歩き出し、船着場を見つけた。
門司港からは下関及び巌流島へと船が出ており、まだ巌流島に上陸したことがなかったので、これを機にと私は切符を購入し、巌流島への船に乗った。
巌流島は正式名称を船島と言い、宮本武蔵と決闘を行った佐々木小次郎が「巌流」と名乗ったところから、巌流島と名付けられたと言われている。
巌流島の決闘をテーマにしたドラマや映画では必ずここはロケ地として使用され、更にはアントニオ猪木とマサ斎藤のプロレス試合の舞台となり、棋士の羽生善治と広瀬章人が下関市の春帆楼での対局前日に訪れたりと、頻繁に大きな対決の舞台となっている。
巌流島に到着し、船を降りると、一匹のたぬきがいた。
海を泳いで島にやってきた野生のたぬきだというが、船着場のスタッフが時々、餌を与えているという。その為か、人に慣れており、船から降りてきた人達に写真を撮られながらも平然とした様子だった。
人に慣れ、持て囃されても動じない彼等の姿はアイドルの様で、実際に地元メディアからの扱いはその様だった。丸い目や鼻の感じは、小型犬にも似ていて可愛いと思った。
たぬきに別れを告げて島の奥まで歩くと、武蔵と小次郎の対決の様子を表した像が置かれており、その時はそこでその像の絵を描く人がいた。
作品を覗かせてもらったところ、単なる銅像の模写ではなく、銅像をモデルにした当時の決闘の様子が、彼の解釈によって描かれていた。
決着の手前の周囲の空気の流れや熱気も表現されており、画風を除けば浮世絵的だった。
彼の主観が武蔵対小次郎という題材の持つ世界を広げ、新たな解釈による物語を作り出した。それを見る人に想像や共感を惹き起こさせることは、創作の持つ価値の一つだろう。
島を一周し、海とその向かいに見える下関の町を眺めた後、過去の決闘の舞台を、私は一切傷付くことなく後にする。一方で自ら船を漕いで島に着き、決闘の後も船を漕いで帰ったと言う武蔵。
生命を賭けて雌雄を決する必要がない現代の平和や利便性の有り難みを感じつつ、その一方で危険や不安定が日常であったであろう時代の人々の遺したドラマからは、生命の輝きを感じるのだ。
争いを見世物として楽しむこと自体は、古代ローマのコロッセオで大々的に行われていたという。自身は安全を享受しながら、他人が命懸けで足掻く姿を見ることに愉悦を感じていたのだろう。
しかし、それは単なる嗜虐心だろうか?必死で生きることの美しさへの羨望や、幾らかの嫉妬心がある、と私は思っている。
ところで日本武道館や国技館は、どちらも日本武道の聖地であると同時に、現在ではロックバンドのライブやオーケストラの公演も行われている。
巌流島は規模・設備的に大掛かりな音楽イベントは難しいと思うが、アコースティック野外ライブなどはあっても良いかも知れない。対バン形式も面白そうだ。