088 東北夏祭り 1日目 盛岡・さんさ踊り 

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8月4日14時頃、花巻空港。曇り空で気温は24℃。
関東と比較して10℃程も気温が低い岩手の地に降り立つと、いよいよ東北にやってきたという感じがした。まるで異国の地に足を踏み入れた時の様な、非日常の始まりを予感させる程の変化だ。

今回の旅行は東北の祭りを行脚する目的で、初日は盛岡市のさんさ踊りを観にきた。
さんさ踊りは初の観覧で何も分かっていなかったが、その日に宿泊したゲストハウス「ととと」の小野寺氏の案内を受けて、その日の他の宿泊客4名と一緒に楽しんだ。
公道に交通規制をかけて大々的に行われるのは東北の夏祭りに共通していて、さんさ踊りも例外ではない。東北の短い夏、街中を煌びやかに彩るのは、厳しい冬の寒さを思うからか。

さんさ踊りは日本最大の太鼓祭りで、最終日の今回は世界一の太鼓大パレードという、各参加団体の敲き手によるさんさ太鼓のみのパレードから開幕した。
これは2014年に和太鼓同時演奏記録の世界一達成を記念したパレードらしく、その先頭は上に人が数人乗って叩くサイズの大太鼓が先導していた。上から響く空気振動は、祭りの開始を参加者・観覧者に伝えた。演奏者自身も、これによって気合を入れているに違いない。

ちなみにさんさ踊りの名前の由来だが、盛岡さんさ踊り実行委員会のHPには下記の説が記載されている。
(http://www.sansaodori.jp/about/)

南部盛岡城下に羅刹(らせつ)という鬼が現れ、悪さをして暴れておりました。困り果てた里人たちは、三ツ石神社の神様に悪鬼の退治を祈願しました。

その願いを聞き入れた神様は悪鬼をとらえ、二度と悪さをしないよう誓いの証として、境内の大きな三ツ石に鬼の手形を押させました。(岩に手形…これが”岩手”の名の由来だとも言われています。)

鬼の退散を喜んだ里人たちが、三ツ石のまわりを「さんささんさ」と踊ったのが”さんさ踊り”の始まりだと言われています。

さんさという掛け声については、「さあさ踊れ」とか、「さんさ、さんさ」という囃しからきているなどとこれまた諸説ある様だ。
私は三ツ石神社の三つ岩から「三叉(さんさ)」ということではないだろうか、いやどうだろうなどと考えていた。
仏教でいうところの踊念仏の類か、或いは街中の飾り付けや時期的に月遅れ七夕の一種なのではとも思ったり。

織姫と彦星が合う七夕の話は7月7日なのだが、これは旧暦の話で、明治時代初期に導入された現在のグレゴリオ暦で換算すると8月20日ごろになるらしい。そこに、七夕は夏に行われるお祭りというイメージと、7日という日付を合わせて8月7日頃に開催する地域もあり、特に東北はそれが顕著な様だ。翌日に観た秋田の竿燈祭りも、七夕祭りの一種だ。

さんさ踊りは組によって少しずつ振り付けや歌が違っており、アイドルの様に推しを持つ市民も多い様だ。とととの小野寺氏は、仙北小鷹という組を推していた。
そして最後は、全組で同じ伝統さんさ踊りを盛大に踊り、盛岡さんさ踊りのグランドフィナーレを飾った。
会場の盛り上がりが最高に達した後は静かに幕引きとなり、私は祭りの後のうって変わった静けさの中を歩きながら、直前までの賑やかさの残響と余韻を感じていた。

それにしても、笛と太鼓の音で心が騒ぐのは、日本人の遺伝子に刻まれた仕組みの様なものなのだろうか。私は普段から踊る様なことはないが、祭囃子を聴くと、どうにも身体が動き出してしまう。
特別に教えられたものでもないのに不思議なもので、私は”日本人”とは何かを考え始めた。

法的には日本国籍を持つとか、地理的には日本列島に居住する民族を血統に持つという定義がある。しかし、今回のテーマは勿論そこではない。
先人達が繰り返してきた文化や風習による行為が、それを経験していない子孫にも伝わっている様な、不思議な感覚について思いを巡らせていた。
これはサルからヒトへの進化の様なものなのかも知れないし、あるいは魂や霊的な何かオカルトなものかも知れない。
前者なら兎も角、後者だとしたらどうだろうか。科学的に存在を証明できない何かが自分を操っているとすれば、科学を信仰する人からすれば気持ち悪いと思うかも知れない。

ボーダーレスを謳うグローバリゼーション時代において、日本人としてのアイデンティティが次第に薄れていくということはありがちだろう。海外から入ってくる情報や文化は素晴らしいし、それらに影響されて変化していくこともまた良いことだと思う。
しかしその中においても、私は”日本人としての自分であること”を強く自覚し、根底のところは変えずに生きていたいと思う。ジャズやソウルを愛していても良いが、祭囃子に心踊る日本人の性を忘れないで、何処にいようともそれを心の拠り所にしたいのだ。

心の拠り所という点において宗教的だなと思いながら、確かに祭りとはそもそも”祀る”ところからきているというので、それも納得だ。
祭りを楽しむことで、間接的に神への信仰を高めていると言えるだろう。
これからの東北の夏祭りを巡る中で、各地域の信仰に触れていこう。

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