さんさ踊りの楽しい一夜を終えた翌日、これまた同時期の宿泊者と一緒に6時頃から神子田朝市に繰り出す。
先ずは「ととと」の小野寺氏のオススメ通り、ひっつみというすいとんの一種を食べ、隣県の青森県産のタカミメロンを食べ、マドカ珈琲店で珈琲をいただいた。空腹が満たされ、昨晩の酒気も抜けてすっかり元通りだ。
そして7時半頃には、市場で流れるラジオ体操第一を市場の人達と共に行った。地域の輪の中に入った気分だ。
お土産に盛岡市に隣接する滝沢市の滝沢西瓜と、ブラックベリーという桑の実の様な見た目をした苺の一種を購入した。後者は後の秋田行きの電車内で食べたが、酸味と香る甘味が長い電車旅の疲れを癒してくれた。
朝市を楽しみ、盛岡城や石割桜等の盛岡市周辺の観光スポットを散策し、これまた小野寺氏のオススメのもりしげで冷麺・焼肉セットを食べた。
盛岡駅前の盛楼閣やぴょんぴょん舎は食べたことがあった為、今回は少し違ったものと紹介されたもりしげの冷麺焼肉セットを選んだ。
テーブル上のガスコンロ網で肉を焼きながら、一般的な冷麺より弾力がやや強いモチモチ麺の食感を確かめる様に味わった。スープはとろみがあり、醤油や鶏ガラの様な味が冷麺に絡むと非常に箸が進んだ。
確かに盛楼閣やぴょんぴょん舎とは明らかに違っていて、この歯応えが好きな私はもりしげ派の様だ。
時を少し遡って、私は盛岡中心部を散策している内に、新渡戸稲造の銅像を見かけた。銅像を見て、彼は現在の盛岡市出身であることを久々に思い出した。
私は小学校の歴史の教科書で彼の実績を知り、幼いながらに凄い先輩がいたものだと驚いたのを思い出した。
彼は北海道大学の前身の札幌農学校で農学を学び、その後も東京大学やアメリカのジョンズ・ホプキンス大学、ドイツのボン大学と転学し、
その後はアメリカで“BUSHIDO THE SOUL OF JAPAN(『武士道』、全英文)”の出版や、日本帰国後の教育活動、そして国際連盟発足に伴い事務次長に日本人としてまさかの任命という大人物だ。
当時の情勢下で、日本人が世界の組織でほぼトップの地位を得ていたという事実は、当時の日本人にとってどれだけ励みになっただろうか。
また、彼は東京大学を早々に中退したが、その面接試験の際、「太平洋の架け橋となりたい」と答えたという。
満州事変の後に日本は国際連盟を離脱したが、その当時既に事務次長を辞任していたにも拘らず、彼はアメリカに渡って日本を守る為に活動していたという。
時代の大きな流れもあり、日本と太平洋諸国との平和を繋ぐ橋は架けられなかった。しかし未だ各地で戦争や、それに至らないまでも互いに牽制が続く今こそ、彼の意志は受け継がれていくべきだろう。
私がもし海外に出るとしたら、微力ながら日本の良さを伝え、また外国からも日本に伝えるべきものを持ち帰りたい。悠々〇〇はそのツールにもなるだろうか?