海上運行と花火大会も終わり、2022年のねぶた祭りのプログラムは全て終わった。しかしそれでも、どこかでまだ笛と太鼓の音が響いている様な気がして仕方がなかった。それもやむなし、それ程に私にとっての跳人として初参加したねぶた祭りは熱く盛り上がったのだ。
普段はほとんど声をあげることもない私が、観客を煽っていたのだから、祭りのテンションというのは凄いものだ。このテンションでいつも生きていけていたら、疲れそうだがもっと明るい別ものの人生になっていたかも知れない。
しかし、そうなるとこの悠々〇〇に表れる私の陰影の様な面がなくなってしまうと思うと、ただ良いことばかりでもなさそうだが。
祭りが全て終わって、迎えた朝は爽やかですっきりしたものだった。朝食を食べながらニュースを見ると、パンの耳からビールを作る門司港のビール醸造所の話が放映されていた。
フードロスを解消しながら、多くの人が好きなビールを作ることが出来るのは、素晴らしい技術だ。
日本酒の酒蔵見学は時々するが、ビールの酒蔵見学の経験はあまり多くない私は、是非ともパンの耳からビールを作り出す製造過程を見に行きたいと思った。
朝食を済ませ、客室から荷物を引き上げた後は、名古屋空港行きの飛行機に乗る為に空港へと向かった。
青森空港⇄名古屋空港の飛行時間は約1.6時間で、距離の割にかなり速いのだ。東海道新幹線なら、名古屋駅から東は終点の東京駅、西は岡山駅までとほぼ同じ時間だ。東京や岡山に仕事や遊びに行くのと同じ感覚で、青森まで行くのも良いものだと私は提唱したい。
私が初めて青森を訪れてから6年だが、既に6回は行っており、その間に東京を訪れた回数とほぼ同じだった。
名古屋に戻ればまたいつも通りの日常と思ったが、実はその頃から現在の仕事もかなり上手く行く様になってきて、これは単なる偶然ではないのかも知れないと思う様になった。
盛岡のさんさ踊りに始まり、竿燈まつりにねぷた・ねぶた祭りの経験及び現地での人々との触れ合いを通して、心境の変化は確かにあったのだ。
今でこそ日本人といえば規律正しくあまり自己表現をせず、周囲を見て自分の動き方を決める様なイメージを持たれがちの様だが、こういう祭りに参加してみると、参加者にはそんなイメージとは正反対のはっちゃけた陽気さを感じる。
産業革命後、仕事だけでなく生き方にも効率を求める人が増えて、遊びや余裕を求める生き方は怠惰だと言われる様になってきたと聞く。
しかし効率を求める程に、同じ様なものになっていって「らしさ」は失われていく様に思われる。それは現代・未来の科学が求めるものとは真逆かも知れないが、私はこの東北夏祭り旅行の初日から「日本人であることを大切にしたい」と思っていた。
この悠々〇〇においても、「私らしさ」があるからこそ、読んでもらえているのだろう。それはきっと、万全な出世街道を歩んでいたらきっと作られることのなかった個性だっただろう。
そして、そんな「私らしさ」を追求できるのは、日本が平和であるからこそだと考えている。私は私自身の為にも、世界平和を願わずにはいられない。