2日目には海沿いを南下して房総半島の先端まで走り、帰りは内側の丘を越えて帰るルートで気軽なサイクリングを楽しんだ。
南房総の国定公園である鴨川松島で暫し海を眺め、道の駅の鴨川オーシャンパークでみかんを袋詰めして補給食及びゲストハウスの女将さんとゲストへのお土産とした。
大小織り交ぜて詰め込んだが、やはり小さいものの方が美味しいものが多かった。みかんは小さい段階で糖度が決まるので、そこから大きくなると含有する糖分の量が同じでも、水分その他が多くなるので濃度が薄まっていくということになる。
以前に浜松の時之栖フルーツパークで果物狩りをした際、梨とみかんがその日の対象だったのを思い出した。梨は大きいものを選ぶと良いと教えられたが、みかんはそれとは逆になる。みかんは早熟で、梨は大器晩成というところだろうか。
ゆっくりと海沿いを走りながら館山を経て、少し北上した岩井駅辺りから伏姫籠穴へと入った。
南総里見八犬伝の登場人物である伏姫の墓所として伝わっており、入口には立派な門があり、ちょっとした神社の様な風格があった。そして、題名の「南総」というのが南房総の略称だと今更ながら気付いた。
私はまだこの作品を読んだことがないので多くを語ることができないのだが、作者の曲亭馬琴が1814年に最初の5冊を出版してから、全106冊を出し終えたのは1842年のことだというのだから、大変な長編だ。
有名な漫画で言うと、完結作品ではこち亀は全巻200巻、現在連載中の作品ではONE PIECEが105巻まで出ている。しかし、南総里見八犬伝は小説であり、ほぼ文字だけでその巻数を数えたことは驚異的と言わざるを得ない。
28年の歳月に加えて、天保の大飢饉の時期(1833〜1837年頃)にかかっていることを思うと、最後まで読むことが叶わずに亡くなった人も多くいたことだろう。
お気に入りの作品が未完になると悲しくなるが、作者が書けなくなるのではなく、自分自身が読めない状態になる可能性もあるということを失念しがちだ。
それを踏まえた上で、私の思考や趣味といった人生そのものを反映しているこの悠々〇〇は、私だけが記事やコンテンツ投稿をできる仕組みである限り、いずれは未完の遺作になってしまうだろう。
プラットフォームとして運用するか、あるいは相続か、または別の継続手段をいずれは考えるべきだろうか?
悠々〇〇を楽しみにしてくれている読者がいる限り、続いてほしいと私は思っている。
将軍や創業の社長が次代に託したいのは、関わった人達との関係やそこで生まれた責任、はたまた愛であったりするのだろうか。私が悠々〇〇に対して抱いているものも似た様なものなのかも知れない。
人生をかけて作る作品は正にライフワーク。私もそれを持てていることを幸せに感じている。