日本の夏祭り 徳島 阿波おどり

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「ヤットサー!ア、ヤットヤット!」
「エライヤッチャエライヤッチャ、ヨイヨイヨイヨイ」
街中に阿呆の声が響き渡れば、徳島の夏は湧き上がる。悠々〇〇の2024年の夏祭りは、徳島で開催される阿波おどりだ。今年の阿波おどりは8/11-15の期間で開催され、私の参加は最終日の15日だ。
今回は友人二人と都合をつけて、最終日に訪れる予定が立ち、以前から楽しみにしていた阿波おどりを遂に観ることができた。
今回の最終日の日にちとしては太平洋戦争が終結し、日本国内に天皇陛下の玉音放送で終戦が伝えられた日だ。私も心の片隅で過去の終戦に思いを馳せながら、現在の平和を享受する為に今夜は阿呆になることを決めた。
世界中の人々が阿呆になれば、戦争はなくなるだろうか?阿呆でいられる為には平和である必要があり、「卵が先か、鶏が先か」問答に発展しそうだ。
しかしその答えが何であっても、阿波おどりは続いていくし、続けていくべき日本の魂の表現だ。平和の為と思ってやっている人はそう多くないと思うが、私が踊らせてもらった連では世界平和を願って音頭を取っており、確かにこの踊りの中では争いは起こらないなと思った。
また今回が初盆の親を持つとのことで、正に盆踊りでもあった。実は私の祖父も昨年の10月に他界しており、私にとっても初盆の盆踊りでもあった。

阿波おどりは日本三大盆踊りの一つと言われており、またその中でも別格の知名度と集客数を誇るだろう。
街中がここまで騒がしくなっては、此岸に戻ってきた御先祖様達も大人しくしてはいられないだろう。
祭りの熱気にあてられて、我々も見る阿呆としてだけではなく、踊る阿呆としても存分に楽しんだ。

「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損!」
暑い日中、ホールや屋根下の幾つかの会場で、幾つかの連(阿波おどり団体)が磨いてきた囃子と踊りを披露してくれた。複数の連の踊りを見比べて、その技術や独創性に感嘆しながら、後々の一般参加に向けての蕩き方を想像していた。
阿波おどりは登録連による各演舞場での踊り以外にも、街中の各地で有志による阿波おどりが行われており、私も後に路上の阿波おどりに混ざって踊った。

新町通れば阿呆ばかり、と唄う声が聴こえてきたが、確かにそこもかしこも踊る阿呆に見る阿呆で埋め尽くされていた。各地の大学の連もあり、その中では東京大学や京都大学の人達までも踊り狂っていた。
羽目を外している様に見えながらも、誰も傷付けず、上手・下手はありながらも皆がそれぞれに楽しんで踊っていた。
恥じらいを捨て、好きな様に振る舞っていても、神社へ落書きしたり、店の冷蔵庫に入ってみたりといった迷惑行為を行う不届きな輩達とは違う。
羽目を外しても悪いことはしない、人の善性に依って阿波おどり然り、祭りやイベントは成立していると思うと、人もまだまだ捨てたものじゃないと思えた。

日本トップレベルの頭脳派集団も阿呆になる阿波おどりの夜、私達もそれに続くことを再び決意したところで、近くの連に混ざって阿波おどりを現地人、観光客問わず混ざり合って踊り始めた。案内に書かれていたにわか連とは違ったが、誘われて踊り始めた私も立派な踊る阿呆となり、全身で踊りを楽しんだ。

中腰の姿勢で両手を掲げ、抜き足差し足で進みつつ、前足と同じ側の手を出していく。基本的な男踊りの方法を踏襲して踊ると、腿裏や腰が段々と疲れてきて、姿勢維持がキツくなるのを感じた。これを演舞場で演り果せる連の人達はやはり流石の熟練の踊り手達だ。まだ熱い夏の夜、一通り踊ると汗塗れになっていた。それを思うに、浴衣手拭いの組合せは合理的で、私も次回は用意をしておきたいと思った。

そうして踊り、観覧して過ごしている内に、南内町演舞場では有名連が集まって集団で一斉に踊る、総踊りが始まった。これは有料で観覧席チケットを購入して観るのだが、我々は購入せずに横の隙間と出口から覗く形で観覧していた。
正に阿波おどりの象徴として広報資料にも使われる総踊りをよく見える場所で観覧できなかったのは少々の心残りではあったが、多少の悔いを残して次回へのモチベーションを高く保つことにした。

総踊りを演り果たした連が続々と出口から出てくるが、最後まで心の入った踊りで出待ちの観客にもサービスしてくれる人もおり、ともすれば祭りの終わりに抗おうとする気持ちの表れにも思われた。
余韻は長く楽しみたいが、今回が終わったところから次回への準備が始まると思えば、ある意味で終わりのないものと言えるかもしれない。
青森のねぶた祭りの様に、一年がかりで用意をするものであれば尚更だが、そうでなくとも全国にその名を轟かす祭りが地元にある人達にとって、日常生活の中でもそれを意識せざるを得ないはずだ。

まだかまだか、もうすぐかと心待ちにしながら、気付けばその日を迎えていることも多いだろう。そして私の人生もそんな様子で、日々の生活と時々の熱狂を繰り返して過ぎて行くだろう。
繰り返しと積み重ねによって、人生は年輪の様に層を成す。いつもとは言わないが、その中に確かな熱狂と興奮の記憶を残していきたい。自分の人生を最期に振り返る時に、きっと笑える様に。

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