
取旅行の最終日、私は鳥取砂丘を訪れた。鳥取市を訪れた際に最初に訪れたい気持ちを抑えつつ、最後の楽しみとして、また飛行機の時間的に最終日の夕方までの時間を過ごすのにちょうど良いという理由でイチオシの目的地を最終日に持ってきた。
この日も晴れやかな秋晴れの日で、今回の旅行中も天気に恵まれた。現地までのサイクリングをしつつ、砂丘では靴を脱いで裸足で歩き回った。
強い日差しの中でも砂はひんやりとしていて、気持ち良かった。風紋だけが痕跡を残す砂の上に自分の足跡を残すと、新雪の上に初めて踏み込む時と同じ様な、何ともなく気分が高揚した。これが男の性と言うべきか、最早語る必要はないだろう。
盛り上がった馬の背と呼ばれる小高い丘に向かって踏ん張りながら登っていき、そこに到達すると日本海側を一望できた。
砂の黄褐色と日本海の濃い青の対比は見事なものだと感じ、また濃い青を最も引き立てるのは必ずしも単なる純白ではないのだと気付かせてくれた。陽光に照らされて強い明るさを放つ黄褐色の砂の輝きと、海の落ち着いた青は、太陽と月、朝と夜の対比の様でもあった。

砂丘を歩き回り、そこを出た後にも砂の美術館を訪れ、この日の午前中は砂尽くしだった。その時期、砂の美術館ではフランスをテーマにしており、ノートルダム大聖堂や民衆を導く自由の女神、レ・ミゼラブルにその他諸々の砂像が展示されていた。
その精巧さにはただひたすらに眼を見張るものがあり、ふと砂で作った建物に住める日が来るのではないかとも思った。雪で作るかまくらは冬限定の楽しみだが、砂ならどうだろう?雪の様に溶けることはないだろうが、夏にはとても熱くなりそうなので、流石にそれだけで作り上げるのは無理があるか。
また館内の紹介ビデオで、製作者が鳥取砂丘の砂を唯一無二のものとして称賛していたことが私としても嬉しく思った。粒が細かく、水を含むとよく固まり、加工がしやすいそうだ。
持出厳禁の鳥取砂丘の砂で芸術品を作る為に、世界から腕の良い芸術家が集まるというのは、日本における芸術のレベルを上げることにも寄与するだろう。
素材の砂が持出厳禁であることを理由に、『ここにしかない、芸術がある。』というキャッチコピーをこの美術館に付けるのはどうだろうか。ありふれた言葉にも思えるが、この美術館の魅力の一端が分かりやすく伝わるだろう。
作品は砂上の楼閣どころか、正しく砂の城だが、たとえ物は崩れ去っても、それの製作に携わった者やそれを見て感銘を受けた者達には残るものがある筈だ。
人が死しても尚、誰かの心に思い出として残る様に、一度形をとった芸術はその形を失っても、関わった人達に影響を残すものだろう。
この美術館の近くでは、目に見えなくとも、砂丘の砂の様に細かい芸術の空気が満ちているのかも知れない。そんな芸術の残滓の様なものが、訪れた人達の中に種として撒かれ、次の芸術の芽を芽吹かせると思うと、素敵なことだと思う。

砂の美術館を後にして、残りの時間は海の幸を楽しむことにした私は、松葉蟹を食べることにした。
初日で大山の恵みを楽しんだ上で、次は海の恵みに期待を寄せたのは必然だった。全国でタラバガニの解禁となる11月に日程を合わせてきたこのツアーの一つの狙いが見えた様だった。
鳥取港海鮮市場かろいちにある漁協にて、1杯の松葉蟹を茹でてもらい、その場でいただいた。
殻から肉をほじくり出す作業に黙々と集中し、それへの報酬の様に、潮の香りのする肉を食べ、味覚と嗅覚を満足させた。
胴体部の肉は、甲羅の内側にあるカニ味噌に浸けて食べるとこれまた磯の香りが立ち、塩味も良い塩梅だった。
勿論、それだけで昼食として足りることはなく、同じくかろいちにある『天然海水いけす海陽亭』にて、復興応援定食をいただいた。
料金の一部を東北地方の復興支援に使われる定食で、お値段もそれなりだが、食事を楽しんだ上で義援金にもなると思えば悪くない。
店外には小さな松の木が置かれていたが、これはなんと、かの有名な奇跡の一本松の原木だという。
鳥取県は東日本大震災の復興支援活動を陸前高田市に対して当初から10年以上も継続してきたという。
奇跡の一本松が震災10年目にして芽を出した為、協力への感謝と友好の証として、ここに贈呈されたとのことだ。
昨今はふるさと納税が流行っているが、こうした手段も復興支援には有効だろう。それをきっかけに、現地を訪れようと思ってもらえれば、更に良い。
通常、人はアクションに対するリアクションを求めるもので、見返り付きの支援というのは支援額の絶対値を上げるには寧ろ良い選択かも知れない。
こうして鳥取の海と山の恵みを堪能し、私は再来の計画を考えながら愛知へと帰っていった。
