
2024年12月。私は4年ぶりに2度目の南紀の旅を始めた。前回と大きく異なるのは、今回は南紀エリアのみの旅行で、また自転車に乗らない友人との旅行である為、自転車を使わないことだ。
南紀・熊野古道フリーきっぷを使用し、名古屋駅から南紀エリアまでは特急・南紀で往復し、現地では付属のバスの乗り放題切符を駆使して移動することで、自転車なしでもエリアを限定することで便利に動き回ることができた。
実はその友人とは、2023年に一緒に南紀に行こうという約束があったのだが、ちょうどその日に台風が上陸し、特急が全て運休になったことで、交通手段がなくなって断念した為に実現しなかったのだ。
友人は当時は横浜に住んでおり、前日に夜行バスで向かったところ、特に問題なく到着することができたので、やむを得ず彼一人で旅行をしてもらうことになった。特急より遥かに天候条件に左右されそうな高速バスが無事に到着できたのは予想外だった。
今回はその彼とのリベンジ旅行でもあり、前回の申し訳なさを払拭して一緒に最大限楽しむことを誓った。
また、熊野古道が世界遺産に登録されてから20周年の節目でもあったので、何か面白いことが起こる様な期待もしていた。
私の旅の初日は金曜日で、彼との合流は翌日昼に持ち越したのだが、朝一の便でお昼に到着する様に移動した。朝早くの出発の上、座席も快適だったので、乗車してから程なくして1時間程眠っていた。
目覚めてからの約2時間余りは、悠々〇〇の前記事を作成したり、尾鷲や熊野古道の車内アナウンスを聞いたりしている内に、終点の紀伊勝浦駅に到着した。長距離電車の中で他に特に何もできることがない時、記事の纏めがよく進むのは、同じ状況で読書が進むことにもよく似ている。
駅に到着し、先ずは昼食を取ることにした。久方ぶりの南紀で、名物のマグロは勿論のこと、しかし主食はめはり寿司をと思い、『お食事処 二代目』にて、定番のめはり定食を注文した。
めはり寿司3個に、マグロの刺身、串揚げに味噌汁が揃えられ、温かいものと生モノの両方の名物をいただいた。
めはり寿司は醤油漬けにした高菜でご飯を巻いたもので、その美味しさやサイズの為に、口や眼をいっぱいに見張って食べる様から名前が付けられたという説がある。
おにぎりに近い感覚で食べられる為、持ち運びにも便利で、実際にここでもテイクアウトの受付をしていた。熊野古道の散策の時など、お弁当として購入するのも良さそうだ。醤油漬け高菜の味が沁みたご飯は、冷めても美味しい。

周辺を暫し散策した後、フリーのバスチケットを使って新宮駅に向かった私は、同じく5年ぶりに熊野速玉大社を参詣した。相変わらず立派な社殿だったが、今回は朱塗り部分の塗替え費用の寄付を募っていた。
美しい状態は作り上げるのは勿論のこと、維持をするのも楽ではないが、熊野民にとっての地元の誇りである熊野速玉大社にみすぼらしい姿をさせる訳にはいかない。
私の様な旅人からの寄付金も無視できないであろうが、熊野民の意地にこそ、期待されていることだろう。
ちなみにここは八咫烏を太陽の使者として祀っているが、八咫烏はJFA(日本サッカー協会)のロゴにも使用されている。
これについては、日本にサッカーを広めた中村覚之助という人が和歌山出身で、彼の出身地である熊野大社で八咫烏が神の使いとして崇められていた為だという。
それ故か、サッカー日本代表のユニフォームが複数寄贈されており、直近のパリオリンピックのものもあった。私の甥がサッカーを熱心にやっているので、ここで売っているサッカー御守を彼へのお土産とした。彼がそれを沢山自慢して、それに見合うだけサッカーの技量が上達することを私も願うとしよう。
ちなみに八咫烏は脚が3本あり、JFAのロゴ内ではその内の1本でボールを押さえている。もし3本の脚を巧みに扱える選手がいたら、きっと攻撃面ではより多くのパターンでドリブルやシュートが可能で、防御面では股抜きを防ぎやすかったりと、多くの恩恵がありそうだ。…走りやすさについては如何なものか?

最後に、速玉大社の近くにある尾崎酒造にて、新年を迎える為の日本酒を一本購入した。残念ながら酒蔵見学は受付しておらず、南紀の地酒造りを見るのはまたの機会に持ち越しとなった。
購入した日本酒は年始に親族が集まった時に皆で分け合って飲んだ。いつの間にか当然の如く、私は新年の日本酒担当となっていたのだ。
