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小笠原旅行 その①
〜旅の始まり、24時間の船旅を経て。〜

12月も半ば、2025年も終わりに近づいた頃、私は今年最後の旅へと出発した。
行き先は、日本最後のガラパゴス、小笠原諸島の父島・母島だ。

平地確保の問題なのか、人口や観光客の数の関係でそこまでの需要がないからなのか、東京の中心部から約1,000kmという長距離にありながら、未だ航空便が就航していない。2011年に世界遺産に登録されたことで、航空機が着陸できない理由が更に後付けされた様に見える。
加えて、竹芝の港から父島まで船便で24時間、更に母島までを加えると乗換+船足で更に3時間を要する。
物理と的距離と移動手段の総合点で日本国内から最大の遠隔地だ。移動時間だけで言えば、北米から乗換が必要な南米にも勝るとも劣らない。パスポートが不要なことは救いだろうか。(笑)

今回、私は夜行バスで名古屋から新宿へ向かい、更に長い船旅をこなしているので、移動時間だけでも30時間を超えており、結構疲れていた。
その都合もあり、行きの船でも1日目は殆どの時間を眠って過ごした。翌日に父島が見えてくる頃にはすっきりした気分で、船疲れもなく、良い具合に旅の始まりに向けて調子が良くなった。

父島の二見港に到着し、そのまま母島の沖港に向かい、アンナビーチゲストハウスへ送迎してもらった。
冬といえど、まだ14時なので、日没まではまだ3時間弱の猶予があった。とはいえ、小剣先山及び乳房島の登山をするには時間が足りないので、近場の商店や周辺の散策に絞り、軽い下見を行った。
その中でも、ロース記念館で母島の手工業等の軽産業や、開拓当時の様相の展示を見たり、小さな鍾乳洞に潜る等、長い船旅の後にはちょうど良いスケールの観光を完遂した。

宿に戻り、夕食にお母様のお料理をいただいた。地元の魚の刺身や、豆のサラダ、豚肉のグリル等、和洋折衷でバランスの良い、美味しい食事だった。
そこには以前に父島・母島を訪れたことのある友人から話に聞いていた、母島産トマトが添えられていた。
一口食べてみると予想以上の甘さに、もう一つも我慢できずにすぐに食べてしまった。美味しいものは勿体をつけず、もっと食べさせてほしいと思う一方で、欲望にはキリがないことも分かっている。

『吾唯足知』という言葉もあるが、本当に満足するところまで行けないのであれば、寧ろ何もない方が良いということもある。下手に欲望を刺激することが余計に不満を煽ることもある。
その言葉には全て『口』が入っており、龍安寺のつくばいは中心に『口』の字を置いた意匠をしている。満足は口から、という裏の意味もあるのだろうか?
トマトはもっと食べたかったが、夕食全体としては質・量ともに満足のいく、嬉しいものだった。

夕食後、太鼓の音が港の方から聞こえてきた。
食後の散歩がてら、港まで歩いていくと、現地の太鼓サークルの人達が太鼓と笛を練習していた。

直近で披露する場は、1月1日の小笠原の海開きの日ということで、残りは2週間程だった。
改めて、小笠原周辺の気温・水温の高さには驚かされた。我々が中学生の頃は、年明けの恒例行事は寒中水泳だったと言うのに(笑)。

座って見学していると、メンバーの男性がバチを貸してくれたので、基本リズムを教えてもらい、少し叩いてみた。
右を2回、左で1回を2:1:1のリズムで叩き、長さはペースによって変わる。最初のゆっくりな内は問題なくやれたが、段々とペースが上がってくると、どちらで何回叩いたかを忘れてズレてしまうことが多くあった。特に、手元に妙に意識してしまうと、失敗が増えた。
筋トレにおいては、動かしている筋肉の動きをよく意識して行うことで、効果が高まるが、音楽においては必ずしも意識することが正しいとは限らないのかも知れない。
ドラムは寧ろ、脳トレと言えるだろう。私も年齢的にはまだまだ若いといえど、思い通りに身体を操作するのは、想定以上に難しいものだった。

音楽をしっかりやっている人、特にドラマーであれば初見でも上手くやれるという話があったのだが、確かに音楽やダンスに慣れている人の脳機能は高いというので、やはり脳トレなのだろう。
ねぶた祭りや阿波おどりでもそうだが、各地の祭りで中心的役割を担っている比較的高齢の人達が、元気で若々しく見えるのは、そういうことなのかも知れない。

21時頃、練習が終わって太鼓を観光協会の建物に収納し、解散した。揺れのないベッドで寝られるのは、今回の旅では3日目にしてこれが初めてだ。
翌日は軽いとはいえ、登山が待っている。長い時間をかけて越えてきた海を、次は山の頂上から見下ろしてみよう。

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