二年前の四月、私は青森県の津軽半島の北端にある龍飛岬を訪れていた。最果ての地というものは私の様な自転車乗りのみならず、古来から多くの人々の憧憬を惹きつけてきたし、様々な伝説が残りがちである。
ここ龍飛岬も例に漏れず、源義経が追手を逃れて北海道や中国に渡ったという渡海伝説が残っている。
源氏の勝利に多大な貢献をした義経が、実の兄に差し向けられた追手の手で死んだというあまりに悲しい結末には、世の人々も納得し難いところがあるのだと思う。やはりハッピーエンドが望ましいのだ。
さて、そんな本州の最北端への憧憬と言うよりは、寂寥感を感じさせる有名な歌がある。それがタイトルの「津軽海峡・冬景色」だ。
石川さゆりの歌唱で有名で、作詞の阿久悠と作曲の三木たかしも昭和歌謡を語る上では外せない大御所だ。
龍飛岬と青森駅近くの八甲田丸の側には津軽海峡冬景色歌謡碑があり、赤いボタンを押すと石川さゆりの歌唱が流れる。
一節目では上野発の夜行列車が青森駅に着く場面を、そして二節目では龍飛岬を歌っているので、それぞれに所縁のあるスポットに歌謡碑が置かれているのは納得だ。
八甲田丸は青函連絡船として、青森から函館へと渡る手段として運行していた。今となっては飛行機に取って替わられたものの、かつては多くの人が本州からの里帰りや仕事の都合で、この歌に歌われる情景を作り出していたのだろう。
北海道へと帰る主人公の女性が感じている寂しさは、彼女自身が本州で出会った人達との別れだけによるものでなく、同じ船に乗り合わせた同じ様な境遇の人達もまた持っているであろう悲しみや寂しさとの共鳴、そしてそこに拍車をかける真冬の澄み切った空気と静けさも要因だろう。
翌年の二月、私はこの歌が伝える冬の情景を知る為に改めて津軽半島を訪れた。凍結した道は滑り、吹雪は容赦無く視界と体温を奪い、かもめも見つからなかった。
冬の凍てつく雪風の中、単身で北海道へ帰る少女の道連れは彼女の影ばかりか。冬の津軽海峡の遥か先、北の大地へと旅立つ彼女の道程に幸あらんことを願う。