041 人間の感情は交流波説 ー科学が発達した社会における人間のあり方について考えるー

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「人間の感情は交流波である」
心電図を見る機器のことを思い浮かべて、電気のことを考えている時に私はこんな可能性を思い浮かべた。

人間の体内には微弱な電流が流れており、それを使って随意筋・不随意筋を問わず筋肉を動かしている。
その電気には、大きく分けて二種類がある。一つは直流、そしてもう一つは交流だ。

直流とは電気が導線の中を流れるとき、その向きや大きさ(電流)、勢い(電圧)が変化しない電気の流れ方を言う。
その為、電気の波形は横一直線の簡単なものになる。

一方で、交流とは電気の流れる向き、電流、電圧が周期的に変化している流れ方を言う。
その為、電気の波形は一定周期で絶対値の範囲で+と−の両極に振れる。

原則、人間の身体に流れる電流は決して0を下回ってぶれることはない。心電図で言えば0が停止状態なので、−はもはや心臓が消えている様なものだろう。
実際、人の身体にAEDを使って電流を流す時は直流の電流を流す。

翻って人間の感情はどうだろう?人間の感情には浮き沈みがあり、高揚することもあれば(+)、落ち込むこともあり(−)、また平静状態もある(0)。
交流波も0をまたいで+と−の両方に上下するものであり、電気の交流波と人間の感情の共通点を見つけた様に思う。

脳波も様々な種類があるが、交流波の様に周期的に上下しているものが多い様だ。であれば、人の感情も電気で動かせるのではなかろうか?
心は脳にあるという前提でいけば、脳に電流を流すことで人格を操作することも出来るのかも知れない。
脳に直流の電流を流し、それを交流の感情に変化させるとすれば、脳にはインバーターの機能もあると考えて良さそうだ。

上記の説は私の空想でしかないのだが、もしそれが本当だった場合、私は自分という人間の個性やあり方というもの、所謂アイデンティティをどう発揮していこうかと思ってしまう。

個性とは何なのか。科学が進歩していく現代において、科学に心まで支配されない為にこういうことを考えるのも実は大切なことなのかも知れない。

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