前回の記事で長野旅行について振り返る過程で、私はふと思った。火山性温泉の絡むところ、やたらと地獄という言葉が出てくるのだ。
地獄谷という地名は北海道の登別温泉にもあるし、別府には海地獄や血の池地獄、かまど地獄といった地獄巡りが人気だ。
これらの温泉地を地獄と呼ぶことの由来について、別府地獄組合のHPの記載を要約すると以下の様になる。
(http://www.beppu-jigoku.com/)
大分・別府の鉄輪・亀川の地帯は、千年以上も昔から噴気・熱泥・熱湯などが噴出しており、近寄ることもできない忌み嫌われた土地であったという。そこから、温泉噴出口を「地獄」と呼ばれているという。
誰が言い出したかは知らないが、言い得て妙な表現だと思える。高音と火山ガス等の有毒物質の為に生物が存在しない荒れた土地は、正に我々が想像する地獄の一つだろう。
その一方で、温泉を心から愉しむ時、「極楽、極楽♪」という様な言葉が口をついて出ることがある。
地獄にいながら、もしくは地獄がもたらしたものによって極楽を感じるとは、何とも皮肉な言葉の面白さよ。
現世・地獄・極楽をそれぞれ別次元に考える日本の仏教哲学も面白いと感じながら、私は実は現世と地獄・極楽の境界は非常に曖昧なもので、どちらにもぶれるものだと考えている。
地獄を知る人生なればこそ、現世に充実を覚え、極楽に至上の幸福を感じることも出来るだろう。それ故に、人生の旅が終わるその時まで、波瀾万丈に満ちた航海を希望を持って生き抜くことが出来るのだ。