私は全ての都道府県を訪れ、最低一泊以上は滞在した経験がある。そしてこれまで住んだことのある都道府県は、東京都・神奈川県・愛知県・大阪府の四つになる。
つまり、日本全国を訪れた上で、関東、関西、中部の三区域に住んだことがあるということになる。
そして思うのは、その土地毎で食文化に大きな違いが見受けられ、その中でも関東と関西で大別出来ることは多いということだ。出汁(だし)、味噌、鰻の捌き方、等々。
土地が違えば文化は変わる。東西南北に長く伸びている日本の面白いところだと思う。
その中で、今回は先ず鰻の関東と関西での調理法の違いについての話をしようと思う。
「退職して全国各地の友人を訪ねてみた①諏訪市のI君」でも少し触れた内容だが、もう少し詳しい話をしよう。
先ずは捌き方について。関東の鰻の割き方は背開きで、関西の鰻の割き方は腹開きが主流だが、この違いは蒲焼の製法の違いによって生まれたという。
関東の蒲焼きは先ず白焼きにした鰻を蒸すので、余分な油が抜けるのと同時に、身が柔らかくなる。
その為、身の厚い背側の部分に串を打たないと、身が柔らかすぎて串のところから身が割れてしまうので、背開きにする。
一方、関西の蒲焼きは蒸さないので、柔らかすぎて串を打ったところから身が割れてしまうということがなく、魚の一般的な捌き方である腹開きを採用している。
関東風の蒸し焼きと、関西風の地焼を地域で分けるとすると、浜松辺りから諏訪湖までの天竜川沿いと言われている。私がI君と下諏訪のうな富でいただいた蒲焼・白焼定食は、関西風の地焼で作られていた。
私は未だ関東風の蒸し焼きが入った鰻を食べたことがないので、次に鰻を食べる時は、関東風のものを食べに行きたいと思う。
ちなみに鰻といえば、非常に栄養価の高いことで知られている食品だが、私がそれを知ったのは新美南吉作の「ごんぎつね」を小学生の頃に読んでからだ。
兵十という猟師が病気の母親の為に捕まえた鰻を、狐のごんが悪戯で逃してしまうのだが、その次の章では鰻を食べられなかった母親の葬式の場面が描かれている。
現代人としては、鰻は食べればたちまち病気が治る様な代物ではないと思うものの、江戸〜明治の頃の一村人の栄養状況を鑑みるに、正に死活問題になる程の効能が期待されるものだったのだろう。
鰻は稚魚の時点ではユスリカやミミズを、成魚になるとカエルやネズミといったものまでも食べる様になり、更には短距離であれば川を外れて砂利をかき分けてまで獲物を獲ることもあるという。
何でも食べて自分の血肉としようとする素晴らしい生命力を持っているので、これは確かに食べれば兵十の母親の健康も鰻登りに回復していたかも知れない。
幸い、現代日本に生きる我々はほとんどの場合、そこまでしなくても健康に生きることが出来ている。しかし、学んだものを身につけ、自分を高めて強く生きようとすることは、生理面だけでなく、自己実現の様な精神面においても同じ様に大事なことだろう。
子どもに好き嫌いをしないことを諭す際に、生命への感謝を理由にするのも良いが、実はこういうことを教えていく方が分かりやすいのかも知れない。