「一昨日(おととい、おとつい)きやがれ」という言葉をご存知だろうか?
江戸っ子がよく使っていた言葉の様だが、今では使う人は殆どおらず、私も現実には寄席と、先輩が私のボケに対して突っ込みで使ったのを聞いたことしかない。
それもそのはず、「二度とくるな」「出直してこい」という様な強い意味を持つので、下手に使えば十中八九、喧嘩になるか、喧嘩にならずとも遺恨を残すかのどちらかだろう。
嫌味を残さず、スパッと啖呵を決めるには、話者の人柄は勿論、文脈や相手からの理解も必要だ。同じ言葉を発言しても、良い意味で取られる人もいれば、悪い意味で取られる人もいる。
次は、言葉の文面そのものに注目してみる。何故、一昨日なのだろうか?
文面を文字通りに捉えれば、「一昨日」という過去の日を指定して、「来る」という未来に向かっての行動を命令する内容なので、到底実現不可能だ。だからこそ、「絶対に来るな」という強い言葉になる。
加えて、「昨日きやがれ」と言うよりは語感が良いのもあるかも知れない。話して詰まる様な歯切れの悪い語感や文字数なら、短気な江戸っ子が使う筈もない。
対して、「おととい=おとつひ=遠方の日」、と変換して「遠い日まで(二度と)来るな」と解釈する説もあり、必ずしも二日前の意味での「一昨日」とは限らない様だ。
いずれにしても、今この場から去れという拒絶の意味を持っていることには違いない。
言葉は諸刃の剣であり、便利な一方で、その便利さの濫用によって他人や、自分自身をも傷付けることがある。
諸刃の剣で斬りかかって返しをくらえば、もう一方の刃で自分の身も傷付けるものだ。言葉を使う際には、よく気をつけなければならない。
英語におけるFワードも、使い方や場面によってはカッコ良かったり良い響きになる時もある。
「一昨日きやがれ」も同じ様なものだろう、取扱注意だ。
言葉という便利な道具を、利器とするか、凶器とするかは、使い手次第だ。
言葉を使う一人の人間として、自分自身の人間性についても、改めて振り返ってみようと思う。