
母島の2日目の朝、予定通り小剣先山と乳房山を登り始めた。当初は推奨されていた時計回りのルートで行こうと思っていたが、道案内に従って一番近い登山口から入って登ったところ、反時計回りとなった。
小笠原は最初に日本最後のガラパゴスと書いた通り、偶然流れ着いた生き物によって成立した生態系が出来上がっており、他では見られないものが沢山いる。
登山口の最初の階段の前に、いきなり固有種と思しきマイマイがいた。間違えて踏み潰さない様に、小さい生命に注意を払い、山を登り始めた。

私達が入港した港を見渡すことができる場所まで登っていくと、かつての戦争で爆弾が着弾した穴や、砲台跡があった。
ここも戦後はアメリカの占領下にあった様だが、沖縄と同じ様にはアメリカの文化を感じることはなかった。
植民地として支配するというより、自然のままに楽しめる場所にしようと思ったのだろうか?内地から遠過ぎる上に、山も多過ぎるからかも知れないが。お陰様で、小笠原は世界遺産に登録されたとも言えそうだ。
途中でちょっとした滝やダムに立ち寄り、ふと座った休憩所でオガサワラトカゲにも出会った。これまた固有種なのだが、ここ小笠原では、アメリカから持ち込まれたグリーンアノールというトカゲが、固有種を食べてしまう問題があがっている。
ガラパゴス化した生態系の為、外来生物による侵食には特に弱く、都度の捕獲や侵入対策が進められている。

休憩を終えて、最後に少し高めの階段を幾つか越えたところで、間もなく乳房山の山頂に到達した。乳房山の頂上なので、乳首と言うべきか。実は二つあるのだろうか?
そこで来た道を振り返ってみると、広大な青い海を眺めることができた。ここが内地から遥か遠くにあることがよく分かる。ボニンブルーの美しい海だ。
“ボニン”というのは、あるアメリカ人が”無人”を聴き間違えたという説がある様だが、その聴き違いが訂正されずにずっと残っているのがまた面白い。
もしかすると、かつて日本が支配していた中国や韓国の一部地域にも、日本語由来の言葉が残っているのかも知れない。

頂上の景色を一望した後は、特に寄り道はなく下山し、お昼にカンパチの醤油漬けの島寿司を食べた。
小笠原近海ではマグロも獲れるが、あまり島では消費されず、内地へ輸送されるらしい。青森の大間と同じ様な状況だなと思った。やはり需要の(価格の)高い消費地で売られていくのはやむを得ない。地方の過疎化も、市場原理に基づくのだろう。
それによる不都合に対して、政治はどこまで介入できるのだろうか?
その後、父島への船に乗る前に少しだけ残った時間で、港近くの岸辺で少し泳いだ。他に泳ぐ人は全くおらず、暫しの間、冬場も暖かい小笠原の海の中で地球の鼓動を感じた。この時は、その後に乗ることになる船が大揺れになるとは思いもしなかった。
2時間の短い船旅ではあったが、頭から船酔いに苦しめられ、吐き切るまでは気分が悪かった。
翌日のははじま丸は、波浪警報で父島行きを中止したので、体力を削られながらも父島に来ることができた私達は幸運だったと言えそうだ。
普段は船酔いはあまりしないのだが、それまでの長旅や登山により、知らず知らずの内に、疲れていたのかも知れない。
あまり来られる機会がない旅先では、しっかり楽しもうとして予定をぎっちりと詰めがちだが、島の時間の流れに身を任せてゆっくりと楽しむことが大切なのかも知れない。
港に到着すると、小笠原ユースホステルの宿主が迎えに来てくれた。宿に到着して荷物を置いた後は、船酔い後の気晴らしも兼ねて近くの海沿いを散歩し、18時から夕食をいただいた。
ピーマンの肉詰めやクリームシチュー、焼き魚等、こちらも中々立派な夕食で、ここでもやはり母島産トマトが添えられていた。疲れていたからなのか、殊更に美味しく感じられ、母島産トマトをお土産にすることを改めて誓った。



