
11月終盤の三連休で、私は数年ぶりに福島県を訪れた。久々の福島県旅行であり、まともに観光やサイクリングをする時間を得たという意味では初めてでもあった。
今回も、FDAが名古屋空港からチャーター便を組んでくれたおかげで機会を得ることができた。
通常は名古屋空港から福島空港への定期便は存在せず、福島県は愛知県からのアクセスが面倒な旅先の一つだ。
東北の主要県のお祭りの中で、福島市で行われるわらじ祭りだけは未参加なので、FDAには定期便の就航もしくは夏の臨時チャーターの設定を是非ともお願いしたい。
今回は友人3人との旅行となり、過去最多の纏まりでの行動となった。この頃は岩手や秋田は勿論のこと、福島でも熊の出没情報が頻繁に寄せられていた為、警戒しつつも、4人組という集団の力とレンタカーのおかげで何となく大丈夫であろうという曖昧な自信を持っていた。
予約していたレンタカーで郡山駅を出発し、猪苗代湖の北側を通って会津若松城に向かった。
NHKの大河ドラマ『八重の桜』は観ていなかったが、ここ福島県出身の綾瀬はるかさんが主人公の八重役を演じていたことは覚えていた。
城内では城の歴史や、会津藩士の日常生活や幕末の活躍についてだけでなく、八重についても説明がされていた。
同志社大学を設立した新島襄の妻であることを思い出したが、戦時は銃を取って戦っていたという、力強い武勇伝を持っていることは初耳だった。
木曽義仲の巴御前然り、武勇において男顔負けの英傑が現れるのは、戦時という状況の持つ特性なのだろうか。同時に、そういった話を勝者側で聞くことが少ない様にも思えた。魅力的でありながらも勝者にはなれない、負けヒロインと言うべきか。
“敵ながら天晴”という評価は負けてこそ得られるものというのが、複雑な心境だ。
最近、『負けヒロインが多すぎる!』というライトノベルを読み始めた。恋に負けた負けヒロイン側を主役に置いた物語で、カップルの成立の裏側にいる負けヒロインの物語を深掘りしている。
負けた側に注目した物語は、日本においては新しい様で古くから幾つもあり、例えば先述の巴御前の例もだが、源義経一派の物語は、歌舞伎においても人気の義経千本桜という演目がある通り、かなりのメジャーどころだ。
判官贔屓という言葉もある様に、負け側の美談を掲げて応援する風潮が日本人には根付いている様だ。それだけでなく、石川五右衛門の様な義賊ものの物語の人気も見るに、反体制というべきか、強者への反発が根底に見られる。
日本においては、封建社会の仕組みによる上からの抑圧に対する反発が、この風潮を生んだ様に思える。
しかし日本のみならず、欧州やアフリカでも、強者による搾取や抑圧の歴史は多分にあることを思うと、判官贔屓は日本人というより、世界中の人々が持ち得る性質なのかも知れない。
そうした物語も全て、人々が結果的に負けたとしても、戦ったからこそ生まれたことを忘れてはいけない。
何もないところから生まれたものではなく、各々の正義や信条に基づいて必死に生きたからこそ、弱者側のみならず、強者からも“敵ながら天晴”と評価され、我々の胸を打つものになるのだろう。
我が身を顧みて、自分は本当に人として生きているのか、自問自答することを忘れずに生きていきたい。




