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豊川稲荷
結界門をくぐって見たもう一つの世界

時期は遡るが、私が豊川市に住んでいた頃、豊川市内随一の名所の豊川稲荷に何度か足を運んだことがある。
私が豊川に引っ越した話を友人達に伝えたところ、東京と大阪から2人が訪ねてきてくれた。遠く離れても繋がり続ける、縁の力に感謝だ。

豊川稲荷は正式名を『妙嚴寺(みょうごんじ)』と称し、山号を圓福山とする曹洞宗の寺院だという。
稲荷というが、祀られているものは狐ではなく、豐川吒枳尼眞天という女神だ。
彼女が稲穂を荷い、白い狐に跨っていたことから、『豊川稲荷』が通称として広まり、現在に至っている。

当時は名鉄ユーザーだった為、名鉄の豊川稲荷駅から暫くは屋根下を歩いていくことで、雨の日もある程度、楽に通うことができた。
正門から入ると、まず両側に二つの札が貼り付けられていた。立春大吉(りっしゅんだいきち)と鎮防火燭(ちんぼうかしょく)だ。
この後も色々な建物の門を見る度に、その札を見つけたので、それぞれの意味するところを調べてみた。

①立春大吉(りっしゅんだいきち)

厄除け・開運のお札で、元々禅宗の寺院で立春の日に貼られたことに由来し、玄関にお札を外から見て右側に付くように貼る。

立春で大吉とは、めでたい名前だ。福を呼んでくれそうな名前の通り、鬼が入ってくるのを防ぐ効果があるらしい。
その仕組みというのが、鬼が入ってきて振り返った時、同じ札が門に貼ってあるのを見て、また入口だと思って再び門を通ることで出ていく、というのだ。
一度振り返るのなら、出ていった後にまた振り返って入ってくることもありそうだ。森で迷ったら右に行くのを繰り返したら元の場所に戻って来た、という話に似たものを感じる。

豊川稲荷では毎年の節分の時期には、各界の著名人を招待して盛大に豆まきを行っているという。
豆まきの際、「鬼は外、福は内」と声をかけるが、節分の時期は立春なので、この札の名前にも似合った行事だ。

②鎮防火燭(ちんぼうかしょく)

火の災いを鎮め、防ぐことを願うお札で、玄関の左側に貼るのが一般的。火の用心のおまじないであり、お札自体に火を鎮める力があるとされている。

豊川市内では勿論よく見かけたが、名古屋市内の文化のみちにある撞木館でも、このお札が貼られているのを見かけた。
木造建築は燃えやすい上、文化財が密集しているこの地域では一つ火がつけば全体に被害を拡大する恐れがあることを思うと、火の扱いには細心の注意を払うことだろう。

豊川市には太平洋戦争の頃に海軍工廠があり、豊川稲荷の敷地内には、空襲を受けて亡くなった多くの人々の鎮魂碑も設置されている。

立春大吉・鎮防火燭のお札にかけられた願いは如何ほどだったであろうか。
戦争の厄災に見舞われ、空襲に焼かれた豊川市の人々の願いが込められていることだろう。

先日に終戦後81年を迎えた日本国。実際の戦争の痛みを知る人数は日々減っている中で、記憶を語り継ぐだけでは非戦活動にも限界があるのかも知れない。
私も非経験者として何とか思いを馳せてみるも、実際に被災した方々には到底及ばない。

近頃は戦争だけでなく、地震や豪雨の様な天災も多く発生しているが、こちらはまだ私達の世代にとっても現実味がある。
どちらも災害で人命が奪われるという点では、通ずるものがある。防災対策から始める平和活動、悪くないのではなかろうか?

ところで東三河の寺院として名前を挙げよと言われれば、真っ先に出てくるであろうこの豊川稲荷。実は東京の赤坂や大阪の天王寺、更には北海道と福岡にもそれなりの規模の別院が存在している。
同じく曹洞宗の永平寺も本山の福井以外に、東京や名古屋に別院を持つが、豊川稲荷の様に5大都市全てに別院を持つのは稀だろう。

東京の赤坂には、大岡越前守忠相公が赤坂一ツ木の邸内に豊川稲荷の分身を祀り、代々大岡家に相続されていたが、明治時代に官令に従って妙嚴寺へ奉納され、明治20年に赤坂表町へ祠堂を移建、以後圓福山妙嚴寺直轄の別院として現在に至る。

今年のGWに、私は実際に赤坂の別院にも足を運んだ。規模感は本院よりは小さく、霊狐塚はないが、狐の置物に寄贈者の名前の書かれた赤い服を着せて置かれていた。
豊川市の方は本体の土台部分に名前が刻まれ、赤坂は服に文字で書かれるという違いがあった。

幼少期、祖父と初めて観た時代劇は暴れん坊将軍シリーズだが、そこでも大岡忠相は幕府側の準レギュラーとして出ており、吉宗の将軍としての姿と、市井に繰り出す際の徳田新之助としての仮の姿の、両方の姿を知り、その活動に理解を示す数少ない立場として出ていた。
作品自体はフィクションではあるが、吉宗のもう一つの姿を理解し支え、大岡裁きの公平さで有名な彼の姿に説得力を与える狙いがあるのかも知れない。

来たる2026年11月、本山では実に72年ぶりとなる御開帳がある。豊川を離れて1年が経つその頃、私も再び訪れよう。
私は俗世ではあるが、僧侶の方々と同じく人生修行の日々を送る者の一人として、仏道を別世界と言わず、身近なものと思って触れ合いたいと思う。

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